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功績とは?/ ディック

[ 747] カップヌードルの父、安藤百福氏の偉大な功績:NBonline(日経ビジネス オンライン)
[引用サイト]  http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20070109/116588/

58年と言えば、昨年話題になった映画「ALWAYS 三丁目の夕日」やリリー・フランキー氏の大ヒット小説『東京タワー』の頃であり、71年と言えば大阪万博の翌年だ。日本経済が戦後の混乱から復興し、高度成長を遂げる時代とともに同社が発展してきたと言える。氏が掲げた「食創為世」は、企業にとって最も大切なのは創造的精神であり、独自の製品を生み出して世の中に新しい文化を作り出すことが究極の目標である、という崇高な理念である。それを実際に体現し、独創性の大事さを日本企業に知らしめた氏の功績は極めて大きい。心よりご冥福をお祈りする。
日清食品は、今や毎年100億食の即席麺を世界中で販売している。即席麺は既にハンバーガーと並ぶ世界的な食品と言ってもよい。それが日本から生まれたのは、まさに和魂洋才の勝利だろう。
そもそも「即席」になる前のラーメン自体が和魂洋才の産物である(洋才といっても、この場合は中国ではあるが)。最も早い記録では、330年ほど前に水戸黄門が中国伝来のラーメンを食べたらしいが、中国の「拉麺」と日本のラーメンとは随分違う。私も中国で本場のラーメンを食べようと意気込んで探したが、それらしいものはなかった。
日本のラーメンの起源を探ると、約100年前に横浜中華街で華僑が食べていた「湯麺」が全国に広まったという説が有力だ。横浜の「ラーメン博物館」、お台場の「ラーメン国技館」などを見ると、「ラーメン」はもはや完全に各地域に根ざした和食として親しまれている。
次に「即席」の部分であるが、ここはまさに和魂である。チキンラーメンで言えば、チキンエキスで味つけをした麺を油で揚げて乾燥させる「瞬間油熱乾燥法」を独自開発した。エキスが染み込んでいるので、お湯をかけるだけで食べられる。ちなみに、チキンラーメンと同時期の加工食品には、52年に生産開始された「魚肉ハム・ソーセージ(かまぼこの製造技術を応用)」、53年発売の「粉末ジュース」、「お茶漬け海苔」等がある。
「カップ」に関しては、日本人が得意な「すり合わせ技術」の成果である。国際的に通用する製品を目指すために、フォークでも使えるようにカップの形状を工夫し、機内食のミックスナッツ缶のふたにヒントを得てカップの密閉法を開発した。
麺は、それまでのインスタントラーメンよりも外径を小さくし、厚みを倍増させた。それをカップに入れる方法にも、創意工夫があった。カップヌードルの麺はカップの底にポトリと落ちているわけではない。麺はカップの側面に支えられる宙吊り構造になっている。この構造によって、輸送中に麺が壊れるのを防ぎ、さらにお湯を注いだ時に麺全体がムラなくほぐれるのだという。こうした麺の収め方は、下においた麺の上からカップをかぶせるという逆転の発想によって生まれたらしい。
日清食品は広告も独創的なことで知られる。私が、最近のテレビCMでは珍しく「もっと見てみたい」と思った作品がある。宇多田ヒカルの音楽が流れるアニメーションで、そのストーリーは、未来の月社会で「絶滅した地球」に疑問を持つ主人公の少年タケルが地球を見に行く、というもの。何回かのシリーズもののようだが、場面のどこかで登場人物がカップヌードルを食べている。そう、これはアニメの宣伝ではなく「カップヌードル」のCMなのだ。カップヌードルは若者にとって自由の象徴であり、その普遍的なコンセプトを、タケルという若者を通して描き出している。
日本国民が自信を持ち、経済発展にはずみをつけるための底力となるのが、和魂洋才のDNAだ。この連載では「ジャパナイゼーション」というキーワードで最近の時流や経済的な出来事を説明し、日本人のDNAがいかに根深いものなのかを解説する。
1984年、早稲田大学理工学部大学院修士課程終了後、日本IBMに入社。システムエンジニアとして活躍後、ボストン・コンサルティング・グループを経て、アーサー・D・リトル(ジャパン)ディレクター、シークエンシャル代表取締役、ベリングポイント代表取締役などを歴任。2004年4月に独立。現在、インターフュージョンコンサルティング会長。早稲田大学大学院客員教授を経て、事業戦略、営業戦略、組織改革などのコンサルティング、ラジオのコメンテーター、講演、執筆などで幅広く活躍。
日本国民が自信を持ち、経済発展にはずみをつけるための底力となるのが、和魂洋才のDNAだ。この連載では「ジャパナイゼーション」というキーワードで最近の時流や経済的な出来事を説明し、日本人のDNAがいかに根深いものなのかを解説する。
1984年、早稲田大学理工学部大学院修士課程終了後、日本IBMに入社。システムエンジニアとして活躍後、ボストン・コンサルティング・グループを経て、アーサー・D・リトル(ジャパン)ディレクター、シークエンシャル代表取締役、ベリングポイント代表取締役などを歴任。2004年4月に独立。現在、インターフュージョンコンサルティング会長。早稲田大学大学院客員教授を経て、事業戦略、営業戦略、組織改革などのコンサルティング、ラジオのコメンテーター、講演、執筆などで幅広く活躍。

 

[ 748] キャシィ塚本の功績 ■80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ
[引用サイト]  http://sskkyy81.blog4.fc2.com/blog-entry-182.html

「ごっつええ感じ」で一番完成度は高いコントは?の問いに松本人志は「駄作は一切無い」と濁しつつも、このコントをあげた 「キャシィ塚本」松本が演じる四万十川料理学校の講師キャシィ塚本の数々の奇奇怪怪な発言は、台本無しのその場の思いつきであったという。松本の言葉に乗っかる訳ではないが、確かにこのコントの切れ味は他のものとは違っていた。ハイテンションで軽快に料理を作っているのかと思えば、急に落ち込み、そこで発する言葉は思い付きとは思えぬ完成度であった。(豚肉を見つめながら・・)「子供の頃、オマエの母ちゃん、ブターっていじめられたこともあるの… まぁ実際ブタに育てられてたんだけど・・ そして今日用意した豚肉が… 」 今田「先生、先生!!」 (急に落ち込んで)「ちょうど五年前なのね、レイプされたの・・・ それを思い出しちゃってね、あの頃は滅茶苦茶だったわ・・」(気を使いながらそんな事は忘れて作りましょうと言う今田に)「そうね!今日はがんばって7人分作るわよ〜♪ちょうど私を犯した人数よ」(番組に遅刻しそうになった理由を聞くと・)キャシィ「縛られてたのよね・・ まぁ縛ってって言ったのは私なんだけどね・・」 「今思い出しただけでも、半笑いになってしまうわ・・」(スタミナ料理を調理中に・・)キャシィ「あの人にも食べさせてあげたかったなぁ・・」キャシィ「昨日別れちゃったの。。彼氏と・・あ、ごめんなさい・・料理番組なのにでこんな話しちゃって」今田「いいんですよ、普段の先生が見れるってのもこの番組の魅力なんですから」キャシィ「夜電話がかかってきて・・来て欲しいって。ホテルまで行ったの私・・」キャシィ「そしたらドアを開けるなり、チェンジだって言われてね・・」キャシィ「もっと若いのいねーのかって・・」(懐妊してもう胎動があるという話かと思いきや・・)「どうやらあたし・・・、出来たらしいの。動くのよ♪ ウィーンウィーンってね。 電池切れたら止まると思うんだけど・・・・・」 (キャシィ登場) キャシィ『あんた達いい加減にしなさいよ!嫌がらせしたでしょ!』 今田『してないですよ先生』 キャシィ『入ってくるときにね、水の入ったペットボトル置いてたでしょ!』 今田『先生に対してじゃないですよ』 キャシィ『怖くて入れないじゃないのよ!!』日曜8時という時間帯でデープな下ネタ中心であったり、食べ物を窓から投げ捨てるなど、いろんな意味で放送コード限界だったと思われるこのコントですが、今の子供達はエンタの神様や笑いの金メダルを観ている事を考えると、世代的な優越感を少し感じてしまいます。
私、マスターオブライフというしがないブログを書いております、PON(ぽん)と申します。ある日ふと思いついて「キャシー塚本」で検索したところ流れ着いてしまいました。御ブログに惚れました。突然ですが、リンクさせていただけませんでしょうか?ご検討を宜しくお願いいたします。自分は1971年生まれで、御ブログとは今のところジャンルもビミョーに離れているのですけれども。今後、記事内容で接点がありしだいトラックバックもさせていただきたく思います。是非宜しくお願いいたします。(追伸:的外れの批判コメントへの困惑記事 思わずうなずいてしまいました。 こういうことやっていたら 仕方ない面もありますよ)
リアルタイムに見てた頃は全て「台本どおり」だと思っていましたが、アドリブでの切り返しだったんですねえ。松本人志はやはり類稀に見る非凡な人材なんだなあ・・・。おそらく「ごっつ」の真の頭脳は松本人志、その頭脳の下に浜田や木村祐一ら他の出演者や構成作家は絶対服従の状態だったんでしょうね。それぐらいじゃないと、「いいもの」は確かに作れないだろうと思います。ただ、横山やすし師匠の生前にやすし師匠を誹謗中傷するコントをやったときは「やり過ぎだろ」と思いましたけどね。しかし、これはこれで遺恨とかそういうもの以上に「芸人としてのプライド」がこういったコントを作らせた、っていう風にも年月がたった今となっては解釈できる部分はありますが。
この番組もある意味、”ピーク時の美学”に当てはまるのではないでしょうか、管理人さん。いつも思ってましたけどプロ野球とお笑いはとにかく折り合いが最悪ですね。いつかワンナイで王貞治型ウォッシュレットなんてのが放送されたことがありましたが、あの時、何が印象に残ったかって星野監督の怒りのコメントでした。「芸人は仲間内なら勝手にやって構わないが、王さんのような人物を馬鹿にするのは許せん。こっちは真剣にやってるんだ」この時、俺は「芸人だって真剣なんじゃないのか?」と感じましたね。松本人志のあの時の怒りもここにあったように思えて止みません。長駄文失礼しました。
「ごっつ」大好きやった。過激な内容ではあったが。まだ売れる前の篠原涼子とかYOUが出てたよな。もう篠原はあんなんやらんよな。個人的には「ミスターベーター」が好きやった・・・。
「ごっつ」かぁ・・・懐かしい例のプロ野球日本シリーズTV中継遺恨事件が無ければ今でも続いていたのでしょうか・・・ダウンタウンというか、まっちゃんでしょうね・・・フジTVに余程ご立腹だったのか、「ごっつ」の最終回に「トカゲオヤジ」のなが〜いコントを一本延々と番組中流してましたねそれで「ハイ、終わり」ってこれが最終回かいっ!て思いましたもんw
ごっつは別格ですね。まだごっつが、ゴールデンじゃなく、確か日テレの特番でやってて、先輩芸人をこけにするコーナーを強烈に覚えてます。
キャシィ塚本の 「チェンジだって言われてね・・・」をブスッ子倶楽部とあわせてみると 非常に深い気持ちになりました
たしかに、ごっつは一時代を築いた番組でしたね。コントの作りこみとか、コーナー構成とか松本人志の才能とこだわりが感じ取れました。もっとも、一部日曜のゴールデンタイムにふさわしいかどうか疑問に残る物もありましたけどねw。
キャシィ塚本の功績キャシイ塚本先生、大好きでした。いつも周りの人が「え……っ」って凍り付くようなことを、さらっ、と言うので、ハラハラしたものでした。アドリブだったのか!!!まっちゃんすごいなあ……。尊敬。じゃあ、あの凍り付く空気は本物だったのですね。はあ

 

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