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[ 55] ログイン (雑誌) - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%82%A4%E3%83%B3_(%E9%9B%91%E8%AA%8C)

1982年5月にアスキー(現・メディアリーヴス)より季刊誌「ASCII 別冊ログイン」として創刊された。当時マニア向けが大半だったパソコン雑誌の中で、一般的な若者をターゲットとした誌面作りが進められていた。
1983年4月号から「月刊ログイン」として月刊化(毎月8日発売)。季刊誌時代の誌面は技術系情報が中心だったが、月刊化以降パソコンゲーム情報を前面に押し出した路線変更を実施。創刊当初は売上もふるわず休刊が危ぶまれていたが、この路線変更により持ち直したとされる。
1984年9月号から編集長に小島文隆が就任。同号の特集「コンピュータでしまいにゃ笑うぞ!!」を始めとして、以後誌面の徹底した娯楽路線が強調された。パソコンに詳しい自分を真面目に自慢するストレートオタク全盛の時代に、あまりパソコンに詳しくなくゲームにしか使えない自分(という馬鹿のフリ)を笑いにするというスタイルを提唱した。パソコンに直接関係のないふざけた記事が掲載される事も多く、月刊期〜月2回刊中期のログインの特徴として広く知られる。一方でこの時期には新ゲームジャンルのいち早い紹介や新しいアミューズメントの発掘、テクノロジーの未来予測等の記事も充実しており、パソコンゲーム文化成熟の一翼を担っていたという側面もある。
発行部数拡大とそれにともなう広告ページの増加による誌面の肥大化を受けて、1988年7月15日号からパソコン雑誌では日本初の月2回刊化(毎月第1・3金曜発売)。雑誌名から「月刊」が消え「ログイン」となる。
1992年末ころの誌面リニューアルでは歴史、ファンタジー、お笑い、科学など多岐に渡るジャンルの読み物や読者投稿ページが登場し非ゲーマー層からの人気を集めるも20世紀末のパソコンゲーム人気の下落の中、断続的な誌面リニューアルが行なわれ1997年ころには紙面縮小に伴って話題の多面化・読者投稿路線は消滅した。比較的オーソドックスなパソコンゲーム雑誌のスタイルが定着し1997年10月17日号をもって月2回刊誌は終了、次の号はそこから2ヶ月ほど空いて1998年1月号として月刊誌(毎月24日発売)に戻る。
本誌の休刊後も現存する姉妹誌には、ボーイズラブ・乙女ゲーム情報誌の「B's LOG」(ビーズログ)がある。その他の現存しない姉妹誌・派生誌は関連項目を参照。
有名ソフトハウスへのインタビューを行なうとともに、ソフトハウスから提供されたオリジナルのショートプログラム(主にゲーム)を公開するという特集企画。オリンピックの名を冠しているが競技性はまったく無く、各地から猛者が集うという点をもってオリンピックと名付けられたようだ。
1984年10月号が初出。この年はロサンゼルスオリンピックの開催年である。その後、1985年10月号・1986年10月号・1987年10月号と毎年10月号に恒例行事として行なわれていたが、1988年10月7日号には「プログラムオリンピック特別編 新・ソフトハウス紀行」と題して企画内容が大きく変更される。特集記事から短期連載形式に変わり、ショートプログラムの提供は消失、代わって編集者の出張の道中記が掲載された。ソフトハウスの増加と月2回刊体制によりスケジュールが限界を超えてタイトになったことが路線変更の原因と思われる。以後この形式は毎年続き、「プログラムオリンピック」の名は有名無実化していった。
特集や不定期連載の形で書かれた記事は主にリアリティのある未来のゲームの姿の予測・希望という形で構成されており、CD-ROM・CD-Rの隆盛、CPU速度・記憶装置容量の進化、携帯型デジタルオーディオプレーヤーや液晶携帯型ゲーム、リアルな世界観の中で進行する自由度が高く明確なゴールの無いゲーム(Grand Theft Autoシリーズ等)、きわめて手軽なネットワーク・マルチプレイゲーム、トランスルーセント(スケルトン)デザインのファッショナブルなマシンの出現(iMac等)、など、現在実現されている技術をかなり近い形で予言したものも多い(例はいずれも1988年時点の予測)。
1988年1月号が初出で以後月刊(初代)時代末期に強く推し進められたが、月2回刊に移行後は本誌のページ数減少のためか記事数が減り、1999年を待たず自然消滅的に終了した。
「いや〜ん、バカ〜ん」と絡めた洒落で慰安旅行の意。毎年春頃に恒例行事としてログイン編集部で行なわれ、そのたび本誌で乱痴気騒ぎの様子が報告された。名目上は研修旅行だったが、実質的には観光と宴会が主であり、スタッフの増加とバブル景気の終焉にともないこういった大型の慰安(研修)旅行は催されなくなった。類似の企画として、編集部内のクリスマスパーティーの報告記事もある。
単なる洒落であるが、このためだけにユニット全20機(頭)のグラフィックとパラメータ設定、犬の顔を模したマップが作られ、オールカラー4ページにわたる紹介記事が書かれた。ただしこれには1987年12月号で開催された「大戦略IIエディタセットコンテスト」に真面目すぎる作品ばかりが応募されてきたことに対して、ここまでふざけた作品があっても良いという範を示す一面もあったとされる。
ログインを代表するお笑い記事のひとつ。数度にわたり連載開始と最終回を繰り返し、大きく3期に分類される。すべてのヤマログは編集者金井哲夫が中心となって編集されており、金井は桶目ララ次郎、岩鐘ピピ吉、大金盥山ピーター太郎吉田、金盥鉄五郎、ピート・大金盥山などの偽名を積極的に使用した。
当面の目標として世界征服が掲げられていたが実質的には読者と編集部で何事かをなす、あるいは交流を深めるといった目的が主である。内容的には各コーナーへの読者投稿が主体で一般的な雑誌の読者投稿ページに近かったが後半になると募集の無いコーナーや募集はしても掲載されないまま企画内容が変わるコーナーが増え、純粋な編集者のおふざけ記事という性格が強くなっていく。秘密情報部という体裁のため投稿者は「部員」として扱われ、掲載者全員に組(「ゆり組」「すずらん組」など)と番号が与えられた。
入団検定試験 - 1985年7月号で公募、同年9月号で模範解答発表。主要五科目の試験問題をパロディ化した極めてふざけた問題文が特徴。成績優秀者は抽選によって選ばれた。
インデアン餅つかない - 1985年11月号から公募。読者が住む町の面白い情報を募集するコーナー。いわゆる変なおじさんの情報が多く寄せられたが、編集部の本意ではなかったとされる。タイトルに意味は無い。
ログイン秘密情報部手帳 - 規約などを記した手帳のページを掲載し(1985年11月号-1986年5月号)、読者はそれを裁断・製本して手帳の形に纏めるという企画。ヤマログ掲載者全員には手帳の表紙が送られたが、発送はヤマログ最終回を過ぎてから行なわれた。
ういやつじゃ、ちこうよれ - 1986年3月号から公募。ヤマロググッズのデザインやアイデアなど、企画案を募集するコーナー。当時人気のあった#ぽげむたマークを意匠に使った安易な案が多く、コーナーとしては盛り上がらなかった。
からだのしんぴ - 1986年6月号-7月号。科学的裏付けを伴わない、雑学的な人体の特殊なはたらきについて募集するコーナーだったが、読者投稿が届くより早く中断され「外人の神秘」コーナーへ転向した。
外人の神秘 - 1986年8月号から公募。文化人類学的視点から外国人の行動の瑣末な特徴を募集するコーナーで、募集したまま以後掲載される事は無かった。
轍馬車よね(わだちばしゃよね)- 1986年8月号掲載。桶目ララ次郎作とされる小説。五十路を迎えた平凡な馬鹿、岩鐘ピピ吉の秘密情報部結成への壮大な決意を描く連載歴史小説で、1話で完結した。
おゲーム建立し万年(おゲームこんりゅうしまんねん)- 1986年10月号から公募。ゲームのタイトル決定から始まり開発、パッケージ販売まで全てをヤマログ部員の手で行なうという壮大な企画で、タイトルを募集した段階で終了した。
海獣の正しい見分けかたマニュアル - 1986年12月号掲載。この回はヤマログの最終回である。アシカやアザラシ等の海獣の正しい見分けかたを説明した学術的記事。
従来の読者コーナーである'READER'S LOG'内の全記事を併呑する形で始まった。おたよりコーナー'LETTERS'の実質的後継でもある。第1期ヤマログに見られた読者投稿に対する評価の厳しさが緩められ、読者にとって親しみやすいページとなった。一方で欄外のお知らせやリード文など細かい場所にはナンセンスなギャグがちりばめられ、全体のトーンとしては渾沌としたシュールな空間であった。読者アンケートで特集を抑え人気第4位にランクインした事もある(1987年10月号発表)。
連載後期にあたる1988年2月号から、親しみやすさをなかば放棄してナンセンス思想「パカパカ」を提唱。全ページにわたりパカパカ的な表現が誌面を席巻するようになる。パカパカが具体的にどのような思想なのかは最後まで説明されなかったが、これはパカパカが非常に感覚的なものであり文脈に添った定義が困難なためであろう。パカパカとは何かを考える「パカパカ論文」の例(1998年2月号掲載)には、「世界にとってパカパカとはレレレラーメンの中にカエルが私のほほをなであっと驚くべきことなかれ、馬の背中はシュポシュポラララカメさん」とある。
主筆の金井哲夫の他にメインライターに伊藤ガビンが加わっている。占術師福田有宵の易占や全編を通じて掲載された内田美智子のイラストも特徴。
おゲーム建立して億年(おゲームこんりゅうしておくねん)- 第1期ヤマログの「おゲーム建立し万年」の正統な後継コーナー。当時からの懸案だったゲームタイトルはおゲーム建立し万年当時の優秀タイトル案から単語・形容詞を混ぜ合わせ『ヤマログの復活はうそだった!! 星に消えた勇者インデアン鹿と、悩める啓蒙馬の大冒険は謎ゲーム。馬&鹿物語II』に決定した。その後ゲームシナリオ・システムを募集した段階で頓挫。
パズルするのだ - 旧'PUZZLE'コーナーの後継で、旧コーナーの数学パズル的な難易度の高い内容と対照的に間違い探しのような参加しやすい内容に変更された。ヤマログ中盤以降は、一つの絵の中で論理的あるいは倫理的に間違っている点を探すというスタイルになる。パカパカ期以降はタイトルを「ヤマログクイズ」「おクイズ」と変え、「おかしいところ探し」「トリックっぽいものさがし」等のより意味の無い内容に変化していった。
パソコンおもしろ生物大募集 - 旧「パソコンおもしろ人物大募集」の後継コーナー。編集者・加川良(田中パンチ)の気まぐれでたびたび内容が変更された。主な企画は「1分間イラスト」「悪のプログラム」「替え唄」など。企画内容同様にタイトルも変更を重ねており、正確な推移は以下の通り。
どーもどーもどーも - 旧'DOMO DOMO'コーナーの後継。毎月編集スタッフが1人、自腹で読者プレゼントするコーナーで旧コーナーからの変更はほとんど無い。スタッフのインタビュー記事も兼ねており、表に出る事が少ないタイプのスタッフの素顔がのぞけるという面もあった。
おゲーム建立して四年(おゲームこんりゅうしてよねん)- 1988年1月号から公募。「おゲーム建立して億年」に替わる企画。以前の壮大すぎた計画をいったん排して、個人レベルで作られたゲームを募集するというスタイルに修正されている。特に応募の無いまま最終回を迎えた。
第1期ヤマログ末期や第2期ヤマログのパカパカ期のようなナンセンスユーモアが初回から徹底して貫かれているのが特徴で、ほとんどのコーナーは葉書の募集をしていないか、募集していても読み切りで掲載先が存在しないか、掲載されていても多くの場合編集者の捏造であった。
メインライターは金井哲夫と伊藤ガビン。3期を通じてヤマログの精神的支柱であった金井のアスキー退社により、これが最後のヤマログとなった。
馬車は嘶きゃ治らない(ばしゃはいななきゃなおらない)- 期間中、不定期に連載。桶目ララ次郎作とされる連載小説で、いわれ無き良心の呵責にさいなまれる主人公岩鐘ピピ吉の心の動きと彼を訪ねた異常に長い名前の男の名前を描いたもの。なお、この小説は第1期ヤマログの最終回直前に連載が予告されていた(1986年10月号)。
こんにちはヤマログちゃん - 1989年12月1日号から公募。読者のおたよりを掲載するコーナーであるが、しばしば明らかに編集者による捏造と分かる投稿が意図的に掲載された。
1992年5月1日号〜1996年9月20日号。ヤマログと双璧をなす代表的お笑い記事。第3期ヤマログ的なナンセンスユーモアによる企画ページと、特にテーマを限定しない比較的自由な読者投稿ページの組み合わせによって成り立つ。
メインライターは松本隆一(ステルス松本)、高橋義信(高橋ピョン太)、澤村健(サワノフ)、増田厚(忍者増田)ら。増田はファミ通編集部への異動により中途脱退。
大募集 - あて先を記すコーナーであるが、スペースの大半は募集と関係の無い内容で占められていた。後期にはあて先が書かれない事が大半だった。
おたより大募集大合戦 - 編集部のマッチメイクにより常連投稿者同士を投稿の優劣で競わせ、トーナメント形式で優勝者を決定する企画。類似の企画に「チーム対抗おたより大合戦」「新・おたより大募集大合戦」等がある。
べったらシリーズ - 松本隆一による4コマ漫画。『べったら課長]』『べったらホラガイさん』等。『サザエさん』や『フジ三太郎』等の古典的4コマ漫画のパロディーとなっており、しばしば銃殺により落ちがついた。
げてもの食や寄生虫、様々なタバコなど、一般に敬遠されがちであったり極端にマイナーであったりするテーマを真面目に考察する不定期連載。常に最後は「あなたの知らない世界はまだまだあるのです……」の言葉で締めくくられた。メインライターは三宅貴久。
1985年3月号〜1986年12月号。ファミリーコンピュータ用ゲームの紹介・攻略ページ。「ビデオゲーム通信」の姉妹ページとして開設され、連載当初はビデオゲーム通信内の1コーナーという位置付けであった。
メインライターは塩崎剛三(東府屋ファミ坊)、水野震治(水野店長)、上野利幸(ゲヱセン上野)ら。雑誌「ファミコン通信」2代目編集長も塩崎である(初代編集長は当時のログイン編集長でもあった小島文隆)。
攻略記事の充実の反面、ページ内にはゲームと全く無関係な冗談・イラストが異常に多く、ログイン内でも特殊な存在感を示したページであった。この編集姿勢が評価され人気は高く、当時のログイン連載記事では異例の別冊付録化された事もあった。
メインライターは加川良(田中パンチ)、伊藤ガビン、アルト鈴木。加川は後にMSXマガジン編集部に異動、同誌編集長になる。イラストレーターは桜玉吉。
感嘆符を除いてぽげムたビゲなみょ〜ん、あるいは波線を使わずぽげムたビゲなみょーんとも。初出は1984年10月号「おたより LETTERS CORNER」に掲載された読者投稿で本来まったく意味のないナンセンスな投稿だったと思われるが、これを気に入った編集者により一種の感嘆詞としてたびたび誌上で使われた。
男性の笑顔を描いたマーク。主にふざけた様子、ナンセンスな状態を表現する際に使われた。写研の写植記号 BA-90 を原型とし、頭頂部にS字型の毛を1本生やした意匠となっている(毛のカーブの角度や方向は画像によって一定していない)。
ログインのライターを務めた伊藤ガビン(本名:伊藤雅敏(いとうまさとし))のペンネームの由来でもある。
本来'ultima'の英語発音は「アルティマ」である(少なくともそれに非常に近い)が、制作者のリチャード・ギャリオット自身はラテン語の'ultima'をイメージしてラテン語風に「ウルティマ」と発音していた。ログインの編集者金井哲夫はリチャード・ギャリオットのインタビューで聞いた発音を元に「ウルティマ」と表記したが、この経緯を知らない読者や他誌からは誤謬であると非難され、経緯の説明がなされた後も論争は沈静化しなかった。
ログインのマスコットキャラクター的存在。1988年3月号「ヤマログ」にて、イラストの発注を忘れたまま空いてしまったスペースに編集者が間に合わせで描いた「どんどん応募の若い頃の図」が原型である。まったく同様の出自を持つキャラクターに「べきであるある」がある(1988年7月号初出)。
漫画家の志水アキは無名時代「三国時代」を中心にイラストを投稿、後に同記事のイラストレーターとして抜擢され商業デビューした。
やはり漫画家の末弘も様々な読者投稿記事の常連で、同時期に「コンプティーク」のイラストレーターとして商業デビュー。その後現在に至っている。
また成人向け漫画家のガビョ布・ヤスイリオスケらはともに「バカチン市国」「愛のモザイク劇場」等の常連投稿者出身である。
この「ログイン (雑誌)」はコンピュータゲームに関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています(P:ゲーム/PJコンピュータゲーム)。

 

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